私たちが住む天草市新和町では、海に近く温暖な気候を活かした早期米や柑橘の生産が行われています。しかし、狭くて不定形な農地が多い中山間地域であるため、高齢化や担い手不足が深刻です。我が家は地域の数少ない専業農家として、周りの皆さんの理解を得ながら甥と2人で無農薬栽培による釜炒り茶の生産に取り組んでいます。
こだわっとる農
茶
天草市 無農薬栽培で地域伝統の釜炒り茶をつなぐ
清水 宏文さん・勘崎 幸之助さん
はじめに
出品茶へのこだわり
清水製茶は、半世紀以上前に父が設立し、現在も使用している75kgの炒り葉機と35kgの揉捻機、50kgの水乾機など小規模な茶工場で「やぶきた」という品種を50a栽培していました。茶工場の設立時から、全国でも数少ない釜炒り茶を生産し、はじめは近隣の茶葉生産者からの委託生産を中心とした経営を行っていました。私は地元の河浦高校を卒業後、県の農業改良普及所(現農業普及・振興課)からの薦めで福岡県八女市の茶農家に1年間修業に行きました。父が奮闘している姿を見ながら育ったためか、後継ぎとして一緒に働くことに何の疑問も持ちませんでした。家に戻ると、修行先で覚えた「さやまかおり」や「かなやみどり」を地域で初めて導入し、その後も品質が良く様々な特徴を持つ品種を導入しながら徐々に自園地を現在の150aに拡大し、やがて自園自製自販が中心となっていきました。
しかし、同時に栽培方法や製茶加工等の基本技術を高める必要性を感じ、『出品茶づくりは自己研鑽の場』という父の考えの下、「蒸し製に負けない外観(色沢)と水色を持つ釜炒り茶」を目指し、父とともに品評会への出品茶づくりに取り組むこととしました。
堆肥では味のコントロールが困難なため、ナタネ油粕(一番搾り)や魚粉、液肥など栽培方法や加工技術の試行錯誤を繰り返すうちに、やがて全国茶品評会において1等1席の「農林水産大臣賞」を複数回受賞することができるようになりました。この父の考えは工場を継承してからも変わっておらず、現在も品評会への出品茶づくりを続けています。
無農薬栽培へのこだわり
品評会への出品を続けていくうちに、平成6年度の全国大会で現在も続く仲間と出会いました。釜炒り茶は、宮崎県五ヶ瀬町や佐賀県嬉野地域、県内では山都町など中山間地帯に多く、中でも宮崎県や佐賀県では無農薬栽培が中心となっています。この出会いから、自園を少しずつ無農薬栽培にシフトし、現在では全ての茶園で無農薬栽培を行っています。
無農薬栽培を始めた当初は、ハマキ類の発生が多く悩まされましたが、法面の草刈り後に発生が多かったことから、地域の方に茶園の管理に合わせて草刈りを行ってもらうことにより解決することができました。また、二番茶まで摘採していたため、炭疽病やモチ病などにも苦労していましたが、一番茶摘採後に深刈りや浅刈りを行い、罹病葉を除去することにより克服することができました。
地域とのつながりがあってこその無農薬栽培と深く感謝し、今後も無農薬栽培にこだわっていきたいと考えています。
甥と二人三脚で釜炒り茶の伝統をつなぐ
無農薬栽培は、一般の栽培に比べ手がかかることに加え、茶工場はライン化されていないため、現在は150aの茶園に早生から晩生まで10種類程度の品種を栽培し、長い期間にわたり工場を稼働することにより、甥と2人でも生産できるように工夫しています。
甥は、子供の時から茶工場に出入りし、小学生の時には『釜炒り茶ができるまで』をテーマとした自由研究で入選するほど製茶に興味を持ってくれました。そこから、大臣賞など全国茶品評会で入選するようになると、自然と後継ぎとなってくれ、我が家から高校に通学するようになりました。高校を卒業後は、私から栽培や製茶技術を学びながら、令和2年度の4Hクラブのプロジェクト活動では「藁被覆による品質向上技術」により青年農業者会議において「秀賞」を獲得するなど、古い技術から新しい栽培方法を見つけようと頑張ってくれています。
今後は、甥と二人三脚で地域伝統の釜炒り茶を守りながら、釜炒り茶の渋みの少ないすっきりとした味わいを活かしたお茶づくりを続けていきたいと考えています。
清水 宏文さん・勘崎 幸之助さん
●経営概要
茶園 150a
●主な品種
やぶきた、ゆたかみどり、さえみどり、さやまかおり、おくゆたか、みねかおり、かなやみどり、在来種
●主な労働力
本人、甥