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逆境を生きる 農聖 松田喜一に学ぶ 第八回

百姓の五段階

喜一先生と妻カズモさん

先生は、虚栄、享楽の「生活のための百姓」が多いことを嘆かれ、農業は、天地が相手で神様のお手伝いをする心、忘我育成で作物の生長や家畜の成長を喜びにするところに真の喜びがあると力説されています。先生は好きな農業に挑戦し、楽しみ、宗教化の百姓の境地に立って、生徒を導かれました。「宗教化の百姓」の境地にたった時、自分自身にノーベル賞を与えてはどうでしょうか。
将棋界で伝説を残し続ける永世7冠羽生善治氏は「ミスを覚悟で冒険的な手を指さないと進歩しない」と。野球の大谷翔平選手やフィギュアスケート羽生結弦選手も高い境地を求めて挑戦し楽しんでいるように思います。私達も何事も挑戦し楽しむ思いで1歩でも高い境地に立てるよう進んでいきたいものです。

(1)生活の為の百姓
1にも生活、2にも生活、3にも生活である。その生活は虚栄、享楽の2つの目標を追うている人が大部分である。この2つの目指すところはお金で、それも楽してお金取ることである。

(2)芸術化の百姓 
農業の芸術味は農業の技術から生まれる。画家は画で、音楽家は声や楽器で表現する。百姓は農作 物や家畜をもって表現する。芸術味を解する百姓は、作る者の心が楽しいばかりでなく百姓が楽しくなり、作業に没頭するから失費の機会がなく富み栄える。

芸術化のキャベツ畑

(3)詩的情操化の百姓 
百姓の薫りが高いのは、田園の詩的生活に入った人である。天地の自然美と融け合うことの出来る人間である。家の周りを自然味豊かなる庭園化する必要がある。趣味と実益と衛生とを織り交えた庭園である。

自然味豊かな松田邸宅

(4)哲学化の百姓 
天地の声を聴く百姓になることである。天地の声のことを「真理」といい、これをあばく学問が哲 学で、農業は「土の哲学」である。天地の生きた訓えに触れつつ書物を読まなければ心に響かず悟れ ない。真剣になって行いては読み、読んではまた行う、これが悟る道である。

(5)宗教化の百姓
天業翼賛(てんぎょうよくさん)の百姓」、神様のお手伝いの心が即「宗教」である。先生は長い間「農業の宗教化」を叫んで来た。信仰を叫ぶ前に自ら信念を得なければならない。農業こそ神仏に近づく途である。

先生は、虚栄、享楽の「生活のための百姓」が多いことを嘆かれ、農業は、天地が相手で神様のお手伝いをする心、忘我育成で作物の生長や家畜の成長を喜びにするところに真の喜びがあると力説されています。先生は好きな農業に挑戦し、楽しみ、宗教化の百姓の境地に立って、生徒を導かれました。「宗教化の百姓」の境地にたった時、自分自身にノーベル賞を与えてはどうでしょうか。
将棋界で伝説を残し続ける永世7冠羽生善治氏は「ミスを覚悟で冒険的な手を指さないと進歩しない」と。野球の大谷翔平選手やフィギュアスケート羽生結弦選手も高い境地を求めて挑戦し楽しんでいるように思います。私達も何事も挑戦し楽しむ思いで1歩でも高い境地に立てるよう進んでいきたいものです。

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