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源流を求めて 農聖 松田喜一に学ぶ 第二十回

「一枚の原稿も一分の話も、とても自分一人の力ではできるものではありません」。百一歳で天寿を全うされた禅の高曽、松原泰道師の教えです。私のこの拙論も、多くの教えのお陰です。古来、日本人は、中国古典「四書五経(ししょごきょう)」に学び、磨き高めてきました。先生も中国古典に学び生かしています。

*四書(論語、大学、中庸、孟子)
五経(易経、詩経、書経、礼記 春秋)

松田喜一先生
松田神社内

先生の学びと教え

前回まで述べてきたように、先生は、祖父喜七の精神・生き方に憧れ、河村九淵(ちかすえ)に直接学び、二宮尊徳や吉田松陰、中江藤樹、中国の古典等にも学び、逆境試練等の体験を通して、心に響く言葉、教えを紡ぎ出しました。例えば「一角を破れ」「三作れ:人間作れ、土作れ、作物作れ」「人並みなら人並み 人並み外れにゃ外れん」「事業は高く 生活は低く」「左に積善、右に生産」「心の標準をどん底に置け」「農業を好きで楽しむ人間になれ」等。先生の教えは、簡潔明快です。これらの教えは、一朝一夕に生まれたものではありません。

事業ハ高ク生活ハ低ク

四書(論語・大学・中庸・孟子)の名言と先生の生き方、教え

「論語」の名言

『学びて思わざれば、則ち罔し(すなわちくちし) 思いて学ばざれば、則ち殆(あやう)し』。「人から学んだだけで、自分でよく考えてみることをしないと、何もはっきりとは分からない。一人で考え込むだけで広く学ばなければ、狭く偏ってしまう恐れがある」ということ。殆く(くらくあやうく)ならないように、先生は全国麦行脚(あんぎゃ)で広く多くの人から学び、研究・試作を重ねて松田式麦作法を考案しました。
『徳は孤(こ)ならず 必ず隣有り』は、先生の著書「農魂と農法 農魂の巻」に出てきます。「徳のある人には、必ず同じような徳のある協力者が現れ、一人になることはない」ということです。事実、二度の大潮害で四年間収穫がない時、見舞金や土地の提供などの支援者が現れました。先生のこれまでの積善、徳の力であったといえます。
『之を知る者は、之を好む者に如かず 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず』。先生は「農業を好きで楽しむ人間になれ」と教えて、自分の性分を生かし好きな農業を楽しんでいます。例えば、農具作りや農作業服の改良、農業に適する土間作り等も楽しんだといえます。
『子 う(よつをもっておしう) 文行忠信(ぶんこうちゅうしん)』。孔子は、常に四つの教育目標を立てて弟子を指導しました。

「文」は学ぶこと(研究)
「行」は行い(人の道の実践)
「忠」は真心を尽くすこと(誠実)
「信」は偽らない心(信義)

先生は「論より証拠」のもと研究と実践を大切にし、「己がやってみせる」という意気込みで農場を立ち上げ、真心をもって農業の発展のために尽くしました。まさに「文」「行」「忠」「信」の実践といえるでしょう。

「大学」の名言

『天子て(よりもって)庶人(しょじん)に至るまで、れ(いつにこれ)皆身を修むるを以てす(もととなす)。』。先生の教え、前記三作れの「人間作れ」は、まず自分作れと教えています。これは、何事におても修身の大切さを教えておりこの大学の名言と響き合います。なお、前回述べた中江藤樹は11歳の時、この名言に感動し、聖賢の道を志しました。

「孟子」の名言

『至誠にして動かざるものは、未(いま)だこれ有らざるなり』。『天の将(まさ)に大任をの人にさん(このひとにくださん)とするや、必ず先ず其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨に労せしめ・・・』。前記の二度の大潮害と四年間収穫なしの現実を、先生は天の試練と受け止め、日本の農業発展のために「至誠」を尽くしました。先生は「神様は人間に大事を託される前には、必ず逆境を与えて人間を試されるという、ち(これはすなわち)『天の試練』である。」と教えています。

「中庸」の名言

『至誠神の如し』。至誠を尽くすことがいかに大切か、しみじみと思います。
先生の著書には、易経(えききょう)の『積善の家には必ず余慶(よけい)あり』も出てきます。先生は積善を家風となさねばならない、とも教えています。
私たちも、偉人賢人とともに古典にも学び、「至誠」をもって一隅を照らしていきたいものです。

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