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逆境を生きる 農聖 松田喜一に学ぶ 第十回

明けましておめでとうございます。農業をやったことのない私が、昨年土作りに励み、はじめてピーマンを二本植えました。一本は私の背丈を超す大きさに育ち現在も実がなり続けています。収獲は優に300個を超え、驚きとともに天地の恵みに感謝しつつ土作り環境作りの大切さを実感しました。今玉ねぎや大根への挑戦は私の楽しみの一つになっています。

稲のことは稲から学べ 世のことは世の中から学べ

この言葉は、様々な実践を通し、逆境試練を乗り切り、悟りの境地に達した先生が実感された言葉といえます。現実からだけでなく、その背後にある天地から学ぶことの大切さも教えているように思います。先月、農魂を育むには、稲麦や牛鶏等から学ぶことの大切さを述べました。百姓の5段階に達するには、もちろん「稲のことは、稲から学び、世の中のことは、世の中から学ぶ」ことが求められます。作物の根や枝葉のささやきを聴きとれるようになりたいものです。そのためには、日々物事によく触れ、観察し、記録しつつ学び高めていかなければなりません。高い境地に立つには、どんな職業においても日々実践しつつ学び、天地や世間等の声なき声を聴きとるこが大切だといえます。

教育のことは子供から学べ

教師であれば「教育のことは、子供から学べ」となるでしょう。子供の瞳や表情、言動は心の表れといえます。子供の表情や姿勢、目の輝き、言動から心を読み解ける教師、更に保護者、地域社会の声なき声を聴を取れる教師でありたいと思います。子供の心のつぶやきを読み解き家庭教育、学校教育、社会教育に当たっていきたいものです。そのためには、日々修養に励み、自分の職業や立場、大きな節目等を通して、人間としての生き方を追究していくことが求められるでしょう。

話は少しそれるかもしれませんが、喜一先生を尊敬し手本とした谷口巳三郎(熊本県近代文化功労者、八代市名誉市民)は、59歳の時単身でタイに渡り苦労の末、農場を開きタイの農業の発展と青年の育成、環境問題等に尽力しました。巳三郎氏は、当時の日本の若者達の姿・格好や目の輝き等を深く憂慮し次の言葉を残しています。「希望があれば瞳はかがやく、希望は自ら作るもの、今、君の瞳はかがやいているか、例え失敗したとしても やってみることにこそ価値がある」。

秋季第講習会
豊川の心 祖父喜七と喜一の授業

農業を好きで楽しむ人間になれ

この言葉は、先生が農場の生徒や農業青年に語り続けた言葉です。好きで楽しむには、自分の性分を生かした天職に就き、目標を掲げて取り組んでいくことが求められるでしょう。農業であれば、11月号で述べた「百姓の5段階」等を目標に掲げ一段一段登っていく、難関・試練に出遭っても創意工夫をし乗り越えていくこと、そこには喜びがあります。喜びは楽しみに変わります。
先生は農業を思う存分楽しみました。人間・自分作りや土作り、作物作りを楽しみ、農場の創設や農業青年の育成に挑戦し、春秋の講習会や講演、農作業の器具の制作をも楽しんだといえます。「・・・2度の大潮害を受けて、全滅しましたが・・・これ程ためになったことはありません。・・・散々苦労致しましたが、・・・言葉にも筆にも表せないほど楽しみました」と。先生は逆境・試練の時においても自らを磨き高め、楽しんでいます。このような境地に達したからこそ教え諭し、多くの人を感服させて導くことができました。どんな時でも志高く、目標を掲げ楽しむ思いで臨めば、自らを磨き高めることができ、真の喜びを味わい楽しむことができます。
本年も土作りやピーマン作り等への挑戦は続きます。新たな発見と喜びを求め、楽しみながら。

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