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逆境を生きる 農聖 松田喜一に学ぶ 第七回

今回の言葉は、事業や家庭、自己を繁栄させる心構え、生活態度といえるでしょう。

松田神社にたたずむ喜一先生の銅像

事業は高く生活は低く

大サイロ

この言葉は、松田農場のサイロに大書し農友標語にしていました。先生は、事業は根、生活は茎葉や花であると教えています。「事業は高く」「生活は低く」、この二元が一体の時、事業や家庭は繁栄し、人生の花が咲くということです。この言葉は、黒石原の農場の経営難、干拓地昭和村の農場でのどん底生活の体験等から紡ぎ出した教えです。根底には、質素倹約・勤勉を身をもって示した母の無言の教えがあるように思います。
先生は、理想を掲げ事業は高く、心の標準はどん底にして逆境、試練をも乗り越えてきました。先生の著書には「『どん底主義』は、最悪の境遇を以て当たり前となすのであるから、大宇宙一切悉(ことごと)く幸福でないものはない」「『どん底主義』で食物を食べたら、何だってまずいものがなく、世界一杯御馳走だらけであり・・・」とあります。しかし、人間は、のど元過ぎれば、どん底生活を忘れてしまいがちです。事業の目標は程々に、外見は華々しくし娯楽に流されてしまいます。「事業は低く、生活は高く」になっていないか自問したいものです。
この家風、社風を創ることが、家庭や会社の永遠の繁栄につながるということです。

左に積善 右に生産

積善とは、利他に生きること、自分中心ではなく隣人や公共のために尽くし、他を思い、他を生かし、他の幸せを願う考えや行いです。しかし人間は、欲があり、自分の都合や利害打算を優先し、快楽を求め、娯楽や消費を楽しみがちです。このような欲・利己心を克己し積善・利他に努め、それを自己の喜びとしたいものです。そのためには、自己修養、道徳修養に励むことが求められます。
生産は、こんこんと湧き出る泉、無尽の財産であると先生は教えています。しかし、生産には、苦難が伴い努力が必要です。この苦難を乗り切り忘我育成の心で、作物に真心を尽くし生産を楽しみ、家畜の成長を喜びとする生き方を目指したいものです。積善と生産を車の両輪として生きることは、家庭や会社の繁栄のみならず、社会の発展にもつながっていくでしょう。

難関で人物が錬れる

難関に遭遇するということは、その人が、尊い目的のために目標を掲げ挑戦しているからでしょう。先生は、農業の発展を通して国家に尽くすという目的のために、理想の農場建設と農業青年の育成を掲げ、「論より証拠」の精神のもと挑戦していきました。そこには、火山灰土の黒石原の農場での経営難、砂と貝殻の干拓地昭和村での農場建設、堤防決壊による2度の大潮害など、多くの難関、試練がありました。難関に遭遇したときは、これまで培った全ての能力、身技魂を振り絞って乗り切ります。先生は大潮害の時、一週間ほど2階での生活を強いられ、今まで不自由に感じていたことは全部心のおごりであった、水とか火とか大自然の恵みが欠けること程の不自由はないと、しみじみと感じとられました。熊本地震の時、このことを感じた方は多かったのではないでしょうか。先生は、このように難関・試練で、先生の身技魂は磨かれ人物が錬れていったといえます。
人間として大きく成長するには難関、試練が必要です。難関であるかどうかは、その人の年齢や経験、学びの深さ、価値観、体力等によっても変わってきます。世の偉人賢人は、高き理想のもと目標を掲げ、誰もが考えつかなかった発想や努力、精神力等で難関を乗り切り、世のために人のために尽くした人です。祖父喜七も自殺を覚悟するほど追い詰められながらも、難関を突破し、川底を通す用水路「底井樋(そこいび)」を完成させて区民を救いました。
何事もどのような心構えで臨むか、そこから何を学び自分の人生に、あるいは社会に生かすかが大切だといえます。

濁水に浮かぶ昭和村民家
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