【Sat】

逆境を生きる 農聖 松田喜一に学ぶ 第六回

前回の「論より証拠」の生き方には、これから述べる「一角破り」「積小成大」「人並みなら人並み、人並み外れにゃ外れぬ」の実践が求められるように思います。

喜一先生の講演風景

一角破り

先生は「一角を破ることは小さなことに全力を集中して、徹底的にやっつけて、いまだかって想像もしなかったほどの実績を挙げること、これ一つで『心に火がつく』、1、為せば成るという『自信』を得る 2、ぜひ行ってみたいという『希望』が生まれる 3、思わず前途が明るくなる、即ち『前途の光明』が輝く 4、人が『信用』する」と言っています。
志願兵の時、先生は、恩師入江藤七の「成績一番は無理でも、まじめの一番なら心がけ次第だ」の激励の言葉や偉人賢人の生き方を手本に奮起し、最後の将校試験では一番になりました。まさに「一角破り」です。このことは先生の大きな自信となりました。県立農事試験場技師の時、横筋蒔きを縦筋蒔きにする革新的麦作法の考案も「一角破り」と言えます。
皆が信用し、この麦作法は3、4年で県下に普及し、農業の神様と称えられるようになりました。「一角破り」の積み重ねは「論より証拠」につながっていきます。

「積小成大」と「積小為大」

「積小成大」は、小の積み重ね、日々の努力や準備の大切さを教えています。道徳教育用郷土資料「熊本の心」の「小学校5・6年」版に、資料(教材)名「九百九十九段め」の話があります。先生は金比羅さんに登った時「金比羅さんの石段は、九百九十九段あるというので登ってみたが、たった一段だった。一段登って、二段目に登るのも一段、三段目に登るのも、二段目まできていたから一段。九百九十九段目も、九百九十八段まで登っていたから一段だった。」と、話されたそうです。一段ずつ確実に登れば、大きな目標や夢も一段登る努力ででき、それは人生の花を咲かせることにつながっていくといえます。
「積小為大」は二宮金次郎(尊徳1787年~1856年:69歳)の言葉です。一握りの菜種を借りて荒れ地を耕し種を蒔き、150倍の菜種を収穫しました。また農家の捨て稲苗を拾って空き地に植え、一俵の稲もみを収穫しています。この体験から金次郎は「積小為大」の法則を発見しました。
喜一先生の「積小成大」、金次郎の「積小為大」はともに体験の中からつかみ取った言葉といえます。

人並みなら人並み 人並み外れにゃ外れぬ

これは、志願兵の厳しさを乗り切るために、偉人賢人の生き方に学び、自分に言い聞かせ自分を奮起させた言葉です。先生は発想や実行力、精神ともに並外れていました。
たとえば、一か月あまりの欠勤、自費での全国麦行脚、理想の農場の創設、革新的麦作法等の発想や実行力、干拓地昭和村での天地返しによる土づくり、月刊「農友」の50年間発刊等の精神です。
人並み外れには、単なる思いつきではなく、世のため人のためという深い思いや皆から受け入れられる価値、積極進取の生き方が求められます。人並み外れの実践とその成果は、先生の自信や確信、信念、喜び、さらに様々な尊称につながりました。
人並み外れの生き方は、個性・持ち味の発揮でもあります。私は、合鴨農法をされている方の思いに共感し、合鴨米を買って食べ始めて20年になります。
昨年おいしいお米のお礼の意味を込めて、下記拙著を謹呈したところ、農業をやっていない私が喜一先生の本を書いたことに驚かれるとともに、開口一番「喜一先生は、論より証拠たい」と興奮気味に話され、「先生は、私たちに講演された(昭和43年7月30日)直後に倒れて亡くなられた」と。私は不思議なご縁に感動し、農薬にたよらない先生の教えを何十年も実践されていることに敬服しました。まさに個性・独自性の発揮です。

矢部農業高校馬見原分校生の前で最後の講話
このページをシェアする
  • 松田喜一に学ぶ

カテゴリ

アーカイブ