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逆境を生きる 農聖 松田喜一に学ぶ 第十二回

喜一先生の人生、言葉に学んだ1年

松田喜一先生

この一年間、喜一先生の人生、言葉から学んできました。執筆が危ぶまれる危機に遭遇した時もありましたが学びつつ執筆することができました。先生の教え言葉にはこれまで述べたほかにも沢山あります。いくつか紹介しますと、

 

三富

1 心の富

2 身体の富

3  物質の富

この三冨を併せ得るには働くことです。

働の三徳

1 働は人心を浄化す

2 働は健康長寿なり

3 働は失費の機会なし

「働は幸福なり」

三惚れ

1 地域に惚れろ

2 パートナーに惚れろ

3 仕事に惚れろ

等々です。

「リーダーとして生きる」

先生の生き方は、リーダーの立場からも学ぶことができます。先生はリーダーに求められる資質能力、①大志を抱き理想の提示と率先垂範 ②不屈の自己 ③前兆の察知 ④創造性 ⑤至誠・真摯などの大切さを身をもって示されたといえるでしょう。

「逆境」

人間は、逆境試練に遭遇します。それは自分を飛躍させるチャンスでもあります。この時いかに生き何を学び、自らの人生に生かすかが大切だといえるでしょう。先生は、逆境試練を何度も経験されました。大正9年、大言壮語(だいげんそうご)して黒石原の地に創設した肥後農友会実習所(通称松田農場)は、2年目に経営難、4年目には退去命令。自殺を覚悟し辞世の句を詠むほど行き詰まりました。その後八代の干拓地への農場の移転と黒石原と併設、天地返しによる土作り、昭和17年堤防の決壊による大潮害。立ち直りかけた昭和19年、今度は台風による堤防決壊で1年近く海と化する大潮害、それらの結果4年間収穫なし等の逆境・試練に遭遇。先生の心中はいかばかりだったでしょうか。それらの試練を乗り越えることができたのは、「徳は孤ならず 必ず隣有り」です。黒石原の時は現熊本日々新聞社山田社長の支援や中川・佐竹両県知事の信任による八代海県営干拓地の造成や村作りの委嘱、2度の大潮害では一事一貫誠を尽くす先生の生き方を尊敬し慕う県内外の人々の見舞金や郷土の人々からは豊川分場等の提供がありました。

昭和17年 濁水に浮かぶ昭和村民家
農友旗
農友橋

「輝き」

敗戦後の昭和21年、秋の講習会には全国から約7000人が参集。今のような交通の便もなく宿泊施設もない時代によく集まったと思います。大きな期待の現れ、先生の輝きでもありました。その後の春秋の講習会も大盛況。多くの人々に希望を与え戦後の食糧危機を救ったといっても過言ではないと思います。それは、昭和24年の天皇御巡幸等からも分かります。逆境試練や「論より証拠」の実践から掴(つか)み取られた言葉や教えは、先生の置き土産となりました。例えば、先生の名言「人間作れ 土作れ 作物作れ」。これは、何事においても自分を磨き高め、よりよい環境を作り、本業に誠心誠意励めということ、それは、自己の理想・使命の実現にも繋がることを教えているように思います。

大観衆を集めた昭和21年の講演会

「不思議な縁に導かれて」

私は30年ほど前、祖父喜七の生き方や偉業に感銘を受け、また喜一先生の「論より証拠」の生き方に尊敬と畏怖の念をもち、お二人の生き方や教えを教職生活等に生かしてきました。縁あって先生の母校でもある豊川小学校勤務となり「豊川の心 熊本の心~豊川の偉人松田喜七と喜一、高群逸枝から学ぶ~」を学校として発刊し、これが先生の御子息に伝わりご縁ができ、下記著書の執筆となり今回の連載に繫がりました。不思議な縁と使命を感じながら先生の教えを読者の皆様と共に語り継いでいけたらという思いで連載してきました。農業技術課関係各位、読者の皆様には拙論にもかかわらず温かい励ましの言葉等を頂き篤くお礼申し上げます。

「源流を求めて 農聖松田喜一に学ぶ」 4月からのタイトルです。学びつつ挑戦していきたいと思います。引き続きよろしくお願いします。

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