【Sun】

逆境を生きる 農聖 松田喜一に学ぶ 第四回

今回の教え「自分が変われば世の中が変わる」です。自分が変わるには、自分作りが原点であり自己教育、自己修養が肝要です。喜一先生は、いかにして自分を磨き高められたのでしょうか。

松田喜一先生

その時その時、徹底して行い学ぶ

先生は、父の勧めで熊本農業学校へ進学し、そこで河村九淵校長の薫陶を受けて学びました。卒業後も九淵の紹介で、北海道を視察し栽培学の専門家等に教えを請い、その学びをもとに試作実験を重ねています。志願兵の時には軍隊生活の厳しさを乗り越えるために、偉人賢人の伝記を買い求め毎晩終夜燈の下で読みました。
農作業の休憩の時には畦道で本を読み、土間にはテーブルやいすを置き本が読めるようにしています。専門書はもちろん古典や宗教書、万国歴史、伝記、文学を読む等、その時その時自己教育に努めたのです。
先生の教えに「農業を好きで楽しむ人間になれ」があります。これは論語「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」と重なります。先生の名著「農魂と農法 農魂の巻」の観念編にある「修身斉家治国平天下」は、「大学」の教訓の要約です。このように古典からも学び、自己の生き方や指導に活かしています。農業界はもちろん、財界や警察、学校、婦人会等からの講演依頼にも、その都度学び「論より証拠」のもと趣向を凝らして熱弁を奮いました。

講演する松田喜一先生

自分作りの肝心要は何か

昭和21年発刊の前記著書「農魂と農法 農魂の巻」には「なぜ今日のごとき見苦しい社会相となって現れたのか、それはもっぱら知識教育を主にして、魂を入れそこなったためではあるまいか。」とあります。
人間・自分作りには、魂・心を磨くことが大切であることを力説しています。学校教育では、自己(人間として)の生き方を考え、道徳性を養う道徳教育がその核です。
道徳教育は、戦前は修身科、戦後は、昭和33年に道徳の時間が特設されました。が、歴的経緯に影響され道徳教育を忌避する風潮もあり、道徳の時間は他教科等に比べ軽んじられていると指摘されてきました。

実習所事務室の様子

その一層の充実を図るために、小学校は本年度(中学校は次年度)から「特別の教科 道徳(道徳科)」になりました。教科書や「熊本の心」を使った授業となり、子供のよさを認め励ます評価が行われます。
家庭や地域との連携を深め、道徳科を要とした道徳教育の充実を図る絶好のチャンスです。しかし西郷南洲遺訓に「何程制度方法を論ずる共、その人に非ざれば行われ難し。…」とあります。
充実するかどうかは、指導する教師や、大人自身が今まで以上に自分作り・心磨きを意識し、実行していくことだと思います。

焦らず一つずつ その時その時学び続けたい

喜一先生は、自分が変わるために、その時その時徹底して学び、心・魂を磨くことに努められました。このような学びの中で「他人と自分は一体であり、知事さんも、大臣さんも自分も一体である」「万物と我とは一体である」と感得されています。まさに「自分が変われば世の中が変わる」です。
森信三(哲学者)は「人間の修養は、一つずつである。その時その時、自分の為すべきことを正確に行うことである」と。焦らず一つずつ、一歩ずつ、その時その時、熱と誠をもって正確に学び続けていけば、自分が変わり世の中が変わっていくでしょう。

石碑
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